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#16「ホテルのクローズに際して...」森重 喜三雄 (HMS役員 | 大阪学院大学 経営学部 教授)
ANAクラウンプラザホテル大阪(大阪市北区)を運営するGHS(大阪市)は3日、同ホテルの営業を10月15日のチェックインを最後に終了すると発表した。
大阪屈指の繁華街「北新地」を代表するシティーホテルとして親しまれてきたが、建物の老朽化など受け、賃貸借契約の満了に伴って41年間の歴史に幕を閉じる。閉館後の建物の利用は未定で、建て替えを含めて検討しているとの事。
ANAクラウンプラザホテル大阪は、1984年10月に「大阪全日空ホテル・シェラトン」として開業。
地上24階・地下3階建ての施設内には客室473室と宴会場、レストランを備えていた。
私は、1984年9月に心斎橋のホテルから転職採用で入社。
大阪全日空ホテルは、全日本空輸のホテル事業の基幹ホテルとして大阪に建設されたホテルでした。
水と緑と光…をテーマに、ロビー中央の水のしたたるレインツリー、フロントバックのレインウォール…など、今までのホテルにないデザインでした。
フレンチレストランのローズルームは、当時、ホテルプラザのル・ランデヴー、ポートピアホテルのアラン・シャペル、リーガロイヤルホテルのシャンボールと並ぶ関西屈指のフレンチレストランでした。
時はバブルの後半、夜ごとに催される宴会、レストランでの豪華な食事…華やかのかぎりでした。
1980年代半ばからホテルウエディングがブームとなり、新しいホテルで結婚式をするのが流行り、毎週末は、全ての会場で結婚式が行われていました。
国際会議のAPEC'95は1995年11月16日より11月19日までの4日間大阪で開催されましたが、アジア太平洋諸国の首脳級が参加する国際会議が東京以外の場所で開かれることは過去に前例が無く、官民一体となった大イベントでした。
そんな中、大阪全日空ホテルは、当時の中国の江沢民国家主席御一行の宿泊を受けていました。
1987年6月から1988年3月に、マドンナ、マイケル・ジャクソン、ミック・ジャガーが一斉に日本ツアーがあり、3人の頭文字をとった「M対策」と呼んで、各ホテルが宿泊の誘致合戦を。
大阪全日空ホテルはマドンナの誘致に成功。
現在の「クラブラウンジ」が当時は11室のスイートルームフロアで、そこに宿泊されました。マドンナさんは身体を鍛えているので、専属シェフが室内で食事を調理したり、地下から24階まで階段で登ったりしてトレーニングされていました。
プール&サウナ サンテロワにも来られ、当時所属していた私は、貸切営業の中、直接マドンナさんの接客を担当。
ほんとに、数々の有名人、著名人、財界人、政治家…が来られ、ホテルの醍醐味をあじあわせてもらいました。
私にとっての第二の青春時代をすごした、思い出深いホテルです。
先日同窓会が行われましたが、約300名の懐かしい面々が集まりました。開業から一緒に仕事をしてきた仲間は、かけがえのない財産です!